FLIER in Dark and Sensitive Room, Hours from Dawn to Dusk till Dawn

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2本/2年半

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MAMIYA-SEKOR f-80 1:2.8

 三年前の誕生日に買ってから二年半、「今年こそはこれで撮るんだ!」と思い、通算二ロール目のフィルムを
今年元旦に装填。しかし自分以外の人が絡むポートレートセッションなんかでは、当然全面的には信頼出来
ないので…それでも五分くらい迷った挙句…しかしやっぱコンタックス645とかを持っていくのでこれは結局
放ったらかし…今日に至る。

 その後普段のショッピングなどでチョコチョコ持ち歩き一一枚は撮ったが、挙句の果てに鏡に向かって最後
の一枚を終えやっと現像。つくづく縁の無い写真機なので、あります。てか、いつからこれほどシャッター押せない
人になったんだろう… このカメラ、良い面は沢山あるんですけど…
 水平を取り易いところとか…(左右対称に二個配置されたピントノブのおかげだと思う。)
by flierone | 2011-02-22 20:02

Journey Planner



cool!
by flierone | 2011-02-11 16:49

麻本呂婆

夜麻登波 久爾能麻本呂婆
多多那豆久 阿袁加岐
夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯

倭建命

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FUJINON







ある部分の記憶を振り返る事は
登った山頂から
登らなかった山頂を眺める事に似ているτ
by flierone | 2011-02-09 19:37

Qualia

 その存在は大体において世間で認知されてはいるものの、はっきりとしたその質の存在定義
が未決で、また哲学と科学双方の分野でそんな議論の主導権争奪さえ行われている…そういった
キーワードの一つとして僕は「クオリア」について時々考える。
これは僕にとって、とても贅沢で無駄な暇つぶしの一つと言って良いかも知れない。

 十年以上前にウィキペデイアがあれば、あれほど読みにくい本を何冊も読む必要なんて
なかったのに…と先ほど思った。

   @@@@@

 それはそうと僕は数年前から"クオリアという質が体として見える瞬間"と言う、荒唐無稽な
テーマのポートレートに、それとなく取り組んでいた。

 これまでに幾つか試したその方法論の一つ…

 僕が対象である彼女に最優先でリクエストしたのは、「表情を変えないで下さい。」という事。
ほぼ続けざまに三回レリーズする間、彼女はきっと同じ表情でいてくれたとは思う。
 
 まず少し腰を落として目線を水平にして一枚、
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scan/negative

 次にその辺に転がっていたコンクリブロックに乗って、自分の目線を二〇センチばかり微妙に
高くして、そして首の傾きを反対側にリクエストして気持ち見下ろすようにもう一枚、
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 この二枚目が自分の目的であり、これをプリントしようというのはあらかじめ決まっていた。

 一枚目は二枚目の写真を相対的に確認する為のゲージである。これは僕の中で、ただ単にこの日
「このような写真が撮りたい。」というイメージが極端に低い寛容性をもって固まっていて、
その為のメソッドなのだ。
 
 とにかく「ポートレートを撮影する」という行為は、相手の存在によって"質"を持った何かを
与えられるのだけれど、その時に自分の中に生ずる何かは、その転がったコンクリートブロック
に、僕が乗るか乗らないかという事だけで間違いなく変化する訳で、そうなるとその「生ずる何か
の質」とはいったい何処に主体が存在するのかさえ分からないではないか…
という思考に塗れてポートレート撮影をしているのだ。

 要するに平たく言うと、
「ブロックに乗っかって、クオリアを想う…」
 これが最近、ポーレートを撮る時のキーワードなのだ。τ
by flierone | 2011-02-06 19:00

Arab Republic of Egypt ~add a postscript~again,again

 一つは中学生の頃、「世界の出来事を取り上げ、解説しなさい」という課題が出て、
その国を取り上げた事。二つめは後に、その国を旅行した事。そして三つめは、怪し
げなイギリス人が書いた、同国の古代史に関わる怪しげな著書にハマってしまい、
ロマンチックな思考に時間を費やした事。

 エジプト・アラブ共和国という国名を見聞きした時に、僕が思い浮かべるのはこんな
三つの出来事だ。

 中学生時代のその課題というのは…当時(七〇年代後半)大統領だったサダト氏が
初めてイスラエルとの和平交渉を行うという大きな出来事がニュースとしてあって、
それを軸にしてアラブ世界のリーダーとして洗練されていく重要な国という観点で、
幼稚な小論文をクラスで発表するというものだった。

 一五年以上後、その地へ旅行する事になったのは、特に爽やかな話では全く無く、
友人との付き合い上、無気力に流されたという言う方が正直な話。しかしその後に読ん
だハードカバーは、エジプトを含め世界中に存在する古代遺跡の考察から、既存の古代
史を覆すような魅力的な本だった。

 その怪しげな著者はグラハム・ハンコック氏。驚く事に当時の僕はこの人物の講演会
を、二箇所に渡って追いかけ、さしで会話などもしたのだった。その時の話の内容で
彼は、エジプト考古学庁のザヒ・ハワスという人物を、私欲の為に歴史遺産を隠し立て
する悪人と断定してた事が、僕の印象に残っている。

 そんな訳でこの人物との思い出がエジプトと繋がってしまっているのだ。G・ハン
コック氏に対する無知から来る信奉心は、その後大した時間を必要とせずに、あえなく
すっきりと消え去り、その代わり全世界の古代史や古人類学などに対する過剰な興味へ
と置き換わった。

 エジプトを知る事は、僕にとって仕事では当然無い。只、好きなキーワードの一つで
ある、と言うだけの事。アダムスミスや空海が好き、打楽器音楽が好き、というのと
同列にあるだけだ。

 そんな僕がこの一〇日程のエジプト報道ついて一つ思うことは…
今現在の同国の大混乱が収束に向かうには、民衆(国民と呼ぶべきかどうか分からない)
野党勢力、軍勢力等を要素とした、その主導権構成からくるほんの幾つかのシナリオ
しか道が無いのは、まぁ当たり前だとは思うが、問題は全世界のあらゆるジャーナリスト
が、それらのシナリオを語る際、アメリカ合衆国にとっての都合の良し悪しを尺度とした、
それぞれの成り行きの優劣を当たり前のように語り過ぎていると言う事。もっと言うと
関連メディアが発信する報道の多くは、そういったアメリカ絡みの部分で考察を加える
のが、さも専門的であるかのような事が通っている事に、かなり違和感を感じるのだ。

 それに報道の最前線にいるジャーナリストと、いわゆる中東情勢の専門家と呼ばれる
人達の意見の相違についても広く読み込んでいくと、そのギャップが広がりつつある
のも気になる。

 例えば気になる現地ジャーナリストの配信ニュースなり何なりを見つけたとする。
そしてずっと追いかけていくと、レポート内容が必ず洗練されて行くのが解る。

 ところがそうなった途端に帰国なさるとか、担当者が変わるとかで、別のジャーナ
リストのテキストに置き換わってしまい、また分かりきった幼稚なレポートに逆戻り
してしまうのだ。現地ジャーナリストがそのまま情勢専門家に進化したような記事が
読みたいと思うのだが、僕はニュース解説者ではないので、ふと我に返り、もうさほど
興味が無い振りをするしかない。

 それにしても、世間にある一部のニュースにはもう、いっその事(商品ニュース)
というタグを付けてくれれば、無駄に閲覧する時間を相当節約できるのに、等と思う。τ


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追記~2/4
 今回のエジプト内乱は、20世紀末からこちら、アラブ世界で起こった出来事の中で、最も強烈にヤバい
出来事だと思う。 この数日のニュース更新からも、その雰囲気は加速している気がする。 その理由を一番
シンプルに言い表すとそれは、紛争に至るイデオロギーが段々と中東戦争初期のもの、すなわち広い意味
でムスリムの人々にとっての、シオニズムとの戦いと言うものに退化していってる気がするからだ。
タハリール広場での衝突 11.2.3

 僕などが注目してしまうのは、多くの日本語ニュースで「反政府デモ隊と大統領支持派との衝突」という
語句が簡単に記述してあるけれど、暴行や拘束を受けたジャーナリストの詳細がレポートしてあるニュース
を読んでみると、ムバラク支持の若者による過激行動のほうが勝っているように書いてある。PressTV
その彼らの見た感じの若さから察するに、もう物心ついた時からサダト大統領以後の、白々しい米傀儡政権
の中で思想を構築してきたのだろうから、一体自分たちがどうして民族同士で戦わなくてはいけないのか、
深くは理解していないように思うのだ。



追記~2/11
Mohamed ElBaradei: 'Egypt will explode'
 国際原子力機関(IAEA)前事務局長である彼がつぶやく、「爆発、」という言葉の言質は深読みするほどに
恐ろしく感じる。
 今現在は軍が一枚岩であるように見えるが、これがそうでなかったらどうなるのか…
 その辺について語っているニュース解説を検索中…

…などと思っていたら、2月12日、ムバラク退陣表明、、
 しかし現状の均衡を、とりあえずは大きく壊す事の無い一つの要素というだけで、エジプト人民のみなさん
にとっては、何ともいえない状況は続いていると思う。

 それにしてもこの騒乱を振り返ってみた時、途中で突然出現した(ように見えた!?)ムバラク支持者という
勢力は、何処に住んでいるどんな人たちだったのか、という事が詳しく知りたくて仕方が無い。




追記~2/27
 ここでもやはり、単に「民主化デモ」とは言えない事情が内包されて
いるようです…というのはリビアの事なんですが…その歴史を50年位
遡ってみると、同国民は「グリーンブック」等々、カダフィ提唱の白々
しき思想(主義)に対し40年以上に渡って、それをある一定の消極的
寛容性を持って受け入れてきたのだろうと思うからです。

 とにかく一つ言えるのは、現在のカダフィは自分の命という物のプラ
イオリティーが異常に上昇した状態で、実質もやは国家元首とは言えな
いと思います。しかし、これによって独裁が消失したとしてその後、誰
がどのように政権を運営し、国家の主権を保全していくのでしょうか…
またイタリアにでも面倒見て貰いますか?

 ネット社会の発達によって「民主化運動」が単に「民衆が起こす稚拙
な先制攻撃」として成立してしまうという弊害が起こっているのでは
なかろうか…という危惧を、どうしても僕は拭えないのです。
by flierone | 2011-02-03 12:18