FLIER in Dark and Sensitive Room, Hours from Dawn to Dusk till Dawn

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来るもの拒み、去るもの追わず…

 前回話した、最近僕の店に用も無いのにやって来るカメラ女子達、、

 彼女たちが先日、僕の店内にあるカメラ保管庫の事を、「桃源郷」と呼んでいるのを聞いてしまった、、
 …。

 早急に保管場所を、変えるのが懸命かも知れない…。

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「act in thought」






 それはそうと思考沈殿方のB氏の話…

 彼と知り合って数年になるだろうか。

 彼は福岡近郊で中古カメラの古物商を営んでいる。

 そこは人が集まる繁華街とは全く言えない場所なのだが、一応JRの駅前にある。

 店内の7割が、僕にとっては馴染みの薄いFマウントの品々なので、その品の入れ替わりに
気付けない可能性もあるのだが、僕から見てその品が彼の収入源になるほど新陳代謝して
いるとは思えなかったのだが、、

 彼はその他に二軒のアパート経営から収入を得ていた。

 僕より5歳くらい若いので、その時点でも30代半ばだったと思うのだが…その御隠居さんの
ような暮らしに、僕はもの凄く興味を惹かれた。

 最初、ある小さな写真展で知り合って名刺交換して、それ止まりでもおかしくは無かったのだが、
チョット話をしてみると、彼は元々東京で報道系のカメラマンをやっていて、福岡でその店を営む
父上がお亡くなりになった際に帰郷し、そのまま後を継ぐような格好で、そのカメラ店とさらに
アパート経営を引き継いだらしい。

 そしてその店というのが、もう何年も足を運んでいなかったのだが僕はよく知っていて、一度買い物を
した事さえあったのだ。 

 そんな訳で、僕は彼のお父さんとは数回の面識があり、話もした事があったので、今は亡きそのお父上
を偲ぶ会話に、当事者として話すネタを持っていた、というのが最も大きな偶然だった。

 そのようにして、飲みに誘ったり誘われたりしているうちに打ち解けて、我々は今のような付き合いに至った。

 ある時彼のカメラ店にちょっと立ち寄った時の話… 

 たまたま電話が鳴って、それを盗み聞きしてしまった僕が、、まさか果たしてこれが彼の商売の最前線!?
真意やいかに!?

 とでもいうべき出来事を一つ…



 「ハイ、OOカメラ店です」

 「どういったカメラを探しておられるんですか??」

 「ええ、なるほど、ええ…メカニカルの…ええわかりました。」

 「わかりました、その写真機なら丁度よいものが、お手ごろな値段でありますよ、 ただ、あなたが先ほど
おっしゃっていた、金属製のと言う事なんですが、その カメラは、フィルム巻上げのノブや、その他数箇所の
パーツがプラスチック樹脂で出来てますけど、そこは大丈夫ですか??」

 「それから、古いカメラ、、という前提でお探しのようですが、古い事によってシャッターの動作が危ういとか、
ファインダーが曇ってるとか、見た感じがボロボロだとか、そう言う品を望んでおられるんだったら、この品は
お気に召さないかも知れないんですよネェ、、、」

 「というのはね、この品は製造年代こそ昭和47年前後と古いものの、ある年配の男性が長く大事にお使い
だったようなので、各部の動作もパーフェクトですし、ファインダー視野ももの凄く綺麗で、見やすい状態が
保たれています。しかも何より見た目が美しいですから、、、一概に古いカメラ、と言ってよいものかどうか、、」

 「あ、チョットお待ち下さい、、そのシリーズの製品だったら、もう一つ同じ様にとても素晴らしい程度の品が
ありますね、こちらは2万円高くなりますがf1.2が付いてますから、もしそれ系がお好みならむしろ安いかも
知れません。でも残念な事に、、これはシャッターが電子式なんですよね、、だからあなたの御希望からは
外れますね、、ま、電子シャッターの何が悪いのか、私にゃ解りませんが、まぁ人それぞれですから、、」

 「あぁ、申し訳ないです。初めての方に、お取り置きはやってないのです。 カメラとの出会いなんて
縁のものですから…」




 電話の相手が、どんなテンションで何を望んでおられるのか、こんな商売には素人の僕でさえ手に取る
ように理解できただけに、相手が少しお気の毒だった。

 でもその客も、例えば、

「アンチックな雰囲気があって、じゃんじゃん撮れて、2~3万で買えるフィルム写真機、おいてありますか?」

 と言う具合にストレートに問い合わせたって良かった訳で、きっと金属だの機械だのと、どっかのアンチック
カメラ雑誌の見出し文句みたいな事ばっか並べ立てて、彼のストレス追加に一役買ったという顛末だろうと
理解した。

 しかし何より、「電子シャッターの何が悪いのか、私にゃ解りませんが…」の部分に共感してしまった事は
確かだ。

 僕が所有する何台かの旧時代製写真機にしたって、その3分の1位が電子シャッターだ。

 ホント、だからどうだって言うんだろう…

 もはや部品が欠損した時代の品で、シャッターが消耗破損したら、電子の場合もう修理出来ないから?

 いいじゃないか、それで、、壊れた事をせいぜい悲しめば、、

 そのカメラの写真機としての機能の、まぁ40年前後の歴史が終わった瞬間に立ち会ったとでも思って
おけば、そう悪い気分じゃなかろう。

 それにどうせそういう人たちは少なくとも複数台のカメラを所有してる訳だろうし、一々今さら機械シャッター
の有意義性なんて、解りきった話はもう結構ですから…というのは僕の考えで…

 しかしそんな事はさておいて、そのシャッターが機械式だろうと電気式だろうと原子力だろうと、とにかく
その写真機を売りさばいて代金を得る、というのがB氏のアイデンティティーの筈だ。

 要するにまぁ、この時B氏は機嫌が悪かっただけなのだろうか…

 でなければ、自分の店の商品があまり売れすぎると、何か不都合な事でもあるからなるべくセーブして
いかなくちゃ、とでも考えていたか、どちらかだろう…

 とにかくこんな、まだ30代のくせに、早くも偏屈爺さんみたいな事言ってちゃ商売以前にその人生自体窮屈
だろうなぁ、、嫁はこないだろうなぁ、、

 なんて、その時僕は思ったのだが、その後あらゆる彼の人格的側面とその連続性を知るに至り、尊敬
すべき友人と言う存在になって行くのである。


…。
…。

「あっ、ところでその電子シャッターのF1.2付きなんだけど…ようするにいくらなの??」
by flierone | 2010-04-28 16:24

ありえないベロ

 今現在、僕の暗室には数人の友人が出入りしている。

 だから、現像プリント関係の消耗品ケミカルには、それぞれ所有者の名前が
書いてある。

 これは僕などにとっては、その昔(25年前位…)ある会社の旧時代的独身寮で
生活していた頃、例えば冷蔵庫の中の私物に自分の名を明記していた事などを思い
出して、とても甘酸っぱい気持ちになる時がある。

 メンバーは僕を除いて4人で、その全員が写真機で生計を立てている。

 その内の一人E氏は、もうかれこれ15年以上前僕が、ジャーニーコニカ一台で、
とりあえず自分の日常生活から可視範囲の森羅万象を撮りまくる事に、何の迷いも
疑問も無かった頃、

「ちょっとあんた…今時のカメラの凄さを、そう邪険にしなさんなっての、、」

 という一言で、この僕を様々な本格的写真(写真機)の世界に導いてくれた男
である。

 E氏は元々自宅に自分の暗室を持っていて、僕のウェットDPE関係のアレコレを
ずいぶんと面倒見てくれていたのだが、数年前から彼の邸宅内における、不意の
人口密度上昇の為、やむを得ず整理して子供部屋にしたのだった。

 泣ける話に聞こえないように、ちょっと文面を練って見たのだが、やはりどう記述
しても、泣ける物は泣けるナ…

 そんな訳で、これまでの恩返しという訳ではないのだが、代わりに僕がその
ハード面を整えて(これを整えるにあたっても、2006フォトログで出会ったこれまた
何人かの尊敬すべき先達からの、指導に拠るところも大きいのだが…)、E氏の
出入りを自由にしよう、というのが出発点だった。

 その後、キャパ写真展や、中古カメラ屋で知り合った若い3人が、写真プリントや
先人の写真集についての話なんかで意気投合して以来、良いとこ取りな格好で、
自然と僕の暗室に勝手に出入りするようになった。

 結果これは僕にとって、もの凄い刺激的環境の成立に相違無かった。

 つまり僕の、手焼き写真プリントに、プライベートという概念は無いのである。

 僕が焼いたプリントは、前進戦闘方2名、中立包容方1名、思考沈殿方1名、
計4名のフォトグラファーの目に常に晒されている。

 当然、E氏は前進戦闘方である。

 彼は時々、酒の席で酔いが進むと僕に向かって

「おい…この脚フェチ!! あのエロプリントは何のつもりだ!!
俺にモデル紹介しろ!!」

 とかいう脈絡喪失の発言をしてくるから困る。というのはさておいて、要するに
彼は僕がまだどんな形においても未発表の、乾燥中、ないしはフラットニング中の
プリントを勝手に見てる訳なのだ。

 エロプリントとか言われたら僕も黙ってられないので、

「あんたの場合、ちょっと仕事から離れたらモデルとの合意不足で、エロが出し
たくても出せないだけじゃないか!」
「まずそのギラギラした目をなんとかしろ、、てか、お茶石鹸で顔洗って出直せ!」

 とか、15倍位言い返すので、すぐに写真とは違う話になってしまい、俄かに場が
沸騰気味になるのだが、そうしてると唐突に、思考沈殿方のB氏が話に入ってきて
表現の自由について語りだすと我々は、宿命的な音感不足のメンバーを突然抱え
込んだウィーン少年合唱団のように、先ずはどの辺りから話を仕切り直すか考える
為に、とりあえずは黙って拝聴する事になるのである。

 まぁエピソードに事欠かないこの仲間達に関しては、その内思う存分語ってやろう
と考えているのだが、もう後一歩、誰かが何かをやらかすまで待ったほうが良いか
どうか思案中だ。


@@@@@


 それは良いとして、、彼らとは全く係わりないところで、僕は今、これまた数人の
女子カメラ日和的女子!?(まぁなんと呼んでもいいけど、実際鋭い写真も撮ってて
感心する事も多いのだが、何となくそう呼びたい気分なので…) なところの女子に
頼られている。

 その中心にいる二十歳の女の子は、元は僕の本業における顧客であって、
写真好きな部分で、仕事以外でも話をするようになった子なのだ。

 僕は彼女に、オリンパスを無期限で貸与している。

 買ってから1ロールは撮ってみたものの、やはり僕にとってはどうでもいい機材
とはいえ、彼女に返還の意志があるのかどうなのか、時間が経つほどに曖昧になって
いってる訳だが…

 彼女に返還を求めると、「じゃ体でお返しします、、」とか言うから
「へぇ…えらいお安い体なんですね…でも僕は結構なので、どっかで換金してきてネ」
とか言う、結構酷い冗談を言い合ってるうちに、うやむやになっていってるし…
つまり「沢山あるんだから一つ位、いいじゃない…」と考えてる事は明白なので、
もう諦めるしかないのだろう。

 まぁ要は、今どんな風に彼女たちに頼られてるかという話…

 それは月に一度くらい、

「ねぇ、またあの、ぶっ飛んだ色になるように現像、お願いしまぁす!!」

 と言って、一人4~5本ずつの撮影済みポジフィルムを持ってくるのだ。

 最初数ヶ月前、店の閉店後に、僕が今まさにタンクに現像液を注入しようとしてた
所に、彼女がカメラをぶら下げて遊びに来て、そのときに未現像のネガを一本持って
いたから、ついでに現像してあげたのだ。

「へぇ、、意外と簡単なんだね!!」

 という感想を、彼女にしてみれば持ったようである。そしてその時に、たまたま
あった、一年くらい常温放置のポジを一本あげて、帰した。そしたら数日後に
「またゲンゾ、お願い」とか言って持ってきたから、僕も既になんか面倒だなとは
思いながらも、来週に自分のもやる予定だからその時一緒にと言う事と、あとC-41
互換しかないので、ぶっ飛んだ色になるけど良いかどうかを、承知させた上で、
預かったのだった。

 そしたらそのあがりを見た彼女はもの凄く喜んで、友達やらも時々連れてくる
ようになった。彼女達の機材は、ローライ35、ホルガ、ペンタックス、といった
フィルムカメラばかりで、案の定彼女は予めそういった友達環境を持っていたのだ。

 そんなこんなで月一くらいの頻度で、僕は彼女たちのポジをクロス現像して
あげている。それにしてもこの手の娘達は、何故にこうも、クロス好きなんだろう
か…、思わず僕も撮っちゃうじゃないか…

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 で、やっと言いたい事なのだが、問題は「ベロ」である。ベロといえば、
135フィルムのスタート部分のあれだ。

 現像の最初に先ず、ベロピッカーで、フィルムの先端を引き出す作業がある。

 この間、彼女達のフィルムの一つを、そうやってベロ出ししようとしていたら
最初のフィルムで、ピッカーの第一スライダーが中に入って行かないのだ。

 何度やっても同じ…途中で「ギゴゲッ…」という音がして、それ以上
中に入って行かない。 しょうがないから、全て暗袋にブチ込んでパトローネを
分解したら、その部分は異様な形状になってたような、手触りだった。

 最終的に漂白が済んで、水洗する為に上蓋を開けて確認してみたら、そのベロは
今まで僕が見たことないようなぐちゃぐちゃの状態だったのだ。

 いったいどんなフィルム装填をしたら、こんな風になるんだろう…

 と思いつつ、これを最後に現像のやり方を全部教えて、もう次回からは自分で
やってもらおうと心に決めた。

 それからついでにもう一つ、そのカメラ女子の中の一人、
R子さんに言っときたいのだが、、

「チョット秘密のself撮ってるので、現像中に見ないで下さいネ!!」

 とか言われても困るんだなぁ、、

 この前、フィルムを取りに来た時、僕の店のバックヤードで、現像直後だった
からフィルムがまだ壁にぶら下がってたの、彼女は見ていたはずであって…
別にルーペで覗き込む訳じゃないとはいっても…暫くは無防備にぶらぶらと
ぶら下がってる訳だし…

 それより、そのユルユルな感覚、直ぐになんとかしなさい!という親目線に、
ついなってしまった。
by flierone | 2010-04-24 19:38

帰宅RUN


 これは常々思っている事なのだが、日常のジョギングにはその走り方が2種類
あると思う。

 一つはまず、自宅であれ何処であれ、とにかくスタート地点から出発し、そして
目的の距離の半分を走ったらその地点で折り返し、同じ道を辿ってスタート地点に
戻ると言う一次元的走り方。もう一つは、往路とは違う道を辿ってスタート地点に
戻ってくるような二次元的走り方だ。これは明らかに後者の方が飽きないし、毎回
が楽しい。

 これを楽しくやるには条件があって、それは必ず秒単位で所要時間を計る事、
そしてスタートする際に毎回必ず、前回よりは1分でも早く走り終えようという意欲を
持つ事などである。

 よく、走り始めて15分くらいの地点で「ランナーズハイ」という気分的状況に
到達するから、それ以降はしんどさなどに鈍感になる、という風に言う人もいるが、
僕の場合は、それ程適当な気分では、走り続けられない。

 そんな訳の解らない気分的酩酊状態の代わりに、僕がランニング中、その意欲
保持のために挑戦する事がいくつかある。

 例えばある信号が青になったばかりのところを通過するとする。そしたらそこから
200メートルくらい先にある信号が黄色になるまでに、どのくらいしか時間がないか
と言う事がわかっているので、それに間に合おうとして、ペースを配分してみたり…

 またある時は障害物のない直線が、数百メートルくらいあって、その区間
ラップを計りながら走るとか…そういった具合だ。

 このような心理的アップダウンを、意図的に盛り込む事で、その只1時間走り
続けるという行為に意欲が生まれるとともに、時間そのものが短く感じて、とても
良い具合なのだ。

 そう考えると、例えば往路を先ず走って、それと全く同じ復路を走るのでは、
そういったバリエーションがきっちりと半分になってしまう。だからどうせなら
二次元的に環を描くような道順で、ルートを一周するような走り方が望ましい
と思う訳である。

 でももっと良いのは、全く違う場所からスタートしてゴール地点に到着する、
と言う走り方が一番良い。しかもそれに、職場からの帰宅、という目的を重ねる
事が出来れば更に面白くなってくるのだ。

 そんな訳で僕は今、週に最低4日、仕事が終わってから、約10キロ(50分間)
の道程をランニングで帰宅している。

 ガソリン代を初めとする様々な諸経費が、毎月3分の1程にも減るという、
大きな付加価値も付いてきた。





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 いや、このくらい説明しとかないと…

「何故にソコまでなさるのですか??」「帰ってから走れば良いのに…」

 とか簡単に質問されるので…
by flierone | 2010-04-22 17:48

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近頃の相方は、、



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「年齢」という概念を強引に棄てるつもりのようです



然るに僕の方もとりあえず50歳までは



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こんな感じで生きていこうかと思っています



その先の事は、またその時に考えます


by flierone | 2010-04-21 18:12

「おくりびとグラファー」




 長く写真を撮っていると、たまに自分の視神経で堪能するだけで「何も撮らなく
て良い」という事の贅沢さと自由さを、本当に感じる事があります。

 そしてその反面にある、「何でも撮ってやる」という欲求の激しさと
唐突さも、あるいは贅沢で自由だと考えて良いのだろうか、という話…




 撮影が許されていない場所、個人のプライベートに係わる写真で本人が望まな
いものなどの、当たり前のタブーは置いておきまして、特に対象が「人」だった
時、そこに条件や約束事があるとしたら、どんなものなんでしょうか。

 「人」は、「個人」だったり「グループ」だったり「集団」だったりそして
「知人」だったり「他人」だったり「不特定多数」、、だったりと、場合によって
は哲学的ともとれる、様々な用語でカテゴライズされるところの「人」として、
多くの場合そこに存在しています。

 実際的に率直に言って僕達は、世間で言われるように、ファインダーを通して
眺めた瞬間、彼らと「関係」を持つ事になるのでしょうか…

 ただ漠然と街角にカメラを向けた時、あるいはそこに群集がいたと言うだけなら
必ずしも彼らと関係せずに、撮影する事は出来るかも知れない。

 しかしその彼らの内の只の一人でも、自分たちに向けられたレンズの前玉の輝き
に気付いたりする事があったなら彼は、あの人は何故自分たちの写真を撮っている
のだろうという疑念を感じる事もあるでしょう。

 平和な国の平和な街角なら、そんな撮影行為がすぐさま不適切な行為とはなら
ないでしょうが、仮にそこが激しく内乱中の途上国家の大統領官邸前広場とか、
そういった性格の場所であったならば、真っ只中でのそんな撮影行為はすぐさま
撮影者の身の安全という程もの要素を含んで、全てが不安定に浮遊する事になり
ます。

 と言う事はつまり僕達は「関係」しようとすまいとどちらでもよく、とにかく
場合によっては、「関係」してしまう事に覚悟さえあればそれで良いという事
なのでしょう。

 そのような前提で「人物」と言う被写体を狙う為の約束事というか、対峙する
為の考え方のような物を、僕はいつからか少なからず意識するようになってしまい
ました。

 被写体である人、そのものが、僕に写真を撮られる事を主な目的としてそこに
存在していた場合に限っては、その現場の営みを指して「肖像写真撮影」
「ポートレートスナップ」「モデルフォトセッション」、、どんな呼び方をしよう
とも、それ程小賢しい前置なんて必要ないかも知れない。

 注意が必要だと僕などが考えるケースとは、写真の対象とそんな十分すぎる合意
などありえないにもかかわらず、写真に収めたいと思える情景、しかもそれが特に
言って、対象の姿形だけを撮りたいのでなく、その感情が垣間見える姿形を撮り
たいと思う時だと言う事。

 そんなシーンの、本当に単刀直入な部分において、結婚式やお祭りなんていう
シーンを連想するのと同等に僕は、人が亡くなった時の葬儀と言うものを思い浮か
べてしまうのです。

 僕はこれまでに2回、身内とはいえない方の葬儀に初めから終わりまで立会い、
そしてあらゆる写真を撮影し、そのプリントを製作して代金を頂くという事を経験
した事があります。最初の1回目は知人で、彼は僕の写真絡みの事を良く知って
いる人間でした。

 気の置けない間柄だったので、その費用という面についても腹を割った形で、
何本くらいのフィルムを使って、そこから何枚くらいをピックアップしてどんな
印画紙にプリントするのかという話までした上で、どちらも納得できる控えめな
金銭を受け取りました。

 2回目の依頼主は、その彼の知人女性だったのですが、ある時にそのプリントを
見てとても感銘を受けられたらしく、その印象を長く保持しておられたと言う事で
それから1年以上後にあった、自分の祖母の葬儀の際に、そこに佇んでいるであろ
う、自分の母の写真を是非ともこの僕に撮って貰いたいと言う事で、同じ金額で
請け負ったのでした。

 結婚式等と違って、必ず日曜日にという訳じゃないので、僕も急な依頼に対して
自分の仕事を臨時に休業しても構わないと、その時は思えたから行っただけであり
今後ずっとそれをやりたい訳ではありません。そしてまたその方にお渡しした
プリントから次の依頼に繋がったのが、1年半くらい経ってからだったのですが
そのお話は打ち合わせをしてみて気が向かなかったので丁重にお断りしました。

 人が悲しんでるところを写真にとって、一体どうするんだ、という疑問が僕にも
根底にある事はあるのです。ですから、自分を曲りなりにも一写真家だと押し
出した上で、「これは一つの写真表現なのです。」と言ってしまう事にはある種の
心の逡巡を感じてしまいます。

 ところが近しい親類が亡くなった時の葬儀をある意味客観的に眺めた時… 
近しい親類の葬儀を客観的に眺める、という行為自体それにさえ、もし説明が
不十分だったなら、或いは不謹慎ととられかねないのですが、此処は誤解を恐れず
に記述しますと、要するに自分の祖母の兄弟が、誰に言わせても大往生だったと
いえる亡くなり方をした際、出席者の皆は当然、弔問という意識を持ちながらも、
懐かしい昔話に花を咲かせ、それがおばあちゃんの弔いになる、と信じているような
性格の葬儀に於いて、と言う事なのですが、…
僕はそのような葬儀に於いて、これは喪主が自分の為にやる行為に思えて仕方が
無かった、という出来事が前提にあるのです。

 あるいはこの僕自身が、御先祖様という存在について、どっぷりと仏教的に解釈
し、その流儀に従って供養という行為を優先するような生活をしてはいないという
面もそれに関係しているかも知れません。

 それは置いておきましても場合によっては、葬儀というイベントの中にはある種
の清々しい側面が存在するのじゃなかろうかと言う事が、言いたいのです。

 もしその側面が本当に清々しいものだったなら、そこに出席なさった方の姿も
また、写真に残して後に振り返る事なども、ありなのではなかろうかという考えを、
その葬儀の一番の当事者に説明して、納得して貰えるチャンスもあると言う思いに
繋がって行く訳です。

 逆にいくらその喪主が直接依頼をしてこようと、「一体どうして写真に残したい
のですか?」という僕の問いに対して、そのあたりの考え方が漠然としていたり、
或いはとても下らないものだったりしたのでは、体裁だけはデリケートなその空間
で、自由に立ち回る事さえ出来ないと思うから、双方にとって時間のムダになり
そうだ、と言うのが先日お断りした理由でした。

 それに比べて、その前の2回目に受けた依頼主の知人女性は、とてもはっきり
した考えを持っておられました。

「自分の母親が自宅介護をやり遂げた後の、祖母の死は、只その死を悲しむだけ
じゃ無く、母の存在そのものから私達、そして私の子供達も皆、何かを学ばなくて
はいけないと思うのです。葬儀の日にはそういった母の様々な内面が現れると思う
ので、本人にそうとは解らないようにして、さりげなく撮ってもらえませんか…」

 というのが彼女の言い分だったのです。

 そこまでお聞きするともう、当然断る理由等は全くないわけです。

 ところが逆に持ち上がってくるのが、一体そもそも自分にそれほどの仕事を確実
にこなす技量があるのかどうなのか、と言う事であって、それを考え始めると激しく
躊躇してしまうのですが、そこは正直に全てを当人に白状して、「万が一どんな
一枚も仕上げられなかった時は、勿論代金も頂きません代わりに何も無かった事
として御了承頂けますか?」と納得して貰えれば良いだけの話でした。

 都合の良いとこだけ素人の気楽さを押し出すという事自体が、素人の証だとは
思うのですが、この辺に関しては死ぬまでの間には解決しようと思ってます…

 とにかくそのようにして、僕なりに様々な被写体を今までもこれからも模索して
いく訳ですが何を撮ろうとも、撮影技能という点ではそれが基礎的に高かろうと
低かろうと、あくまでもやはり自分だけの問題にも思える訳です。

 今回のような撮影シーンでは、そういった部分とは全く関係無く、しかし重要な
ファクターとして、自分は只写真を撮る者だとしても、部外者としての部外者性を
十分に確立させるという行為はやはり必要なのでは無かろうかと言う思い…
もっと言うとその部外者性の確立という行為は、事前に被写体との関係について
「撮る」と言う行為を抜きにして、構築しておく事にも相当するように感じます。

 勿論全ての場合で、「撮りますよっ!」「はい、チーズ!!」とやっていくべき
だとか思っている訳では当然無く、少なくとも、只カメラを向ける事で自動的に、
自分がこれから何かを表現しようとする、その下地が整うかも知れないという
幻想は捨てるべきなのではなかろうか…と思う訳です。

 だって偉大なる伊兵衛翁の時代とは、やはり確実に世界は変わってしまってると
思いますので、、



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…と結んでおいてはみたものの、やはり避けて通った部分、、

「それじゃあなた、、自分の母親が死んだ時に、弔問にお見えの、母親と縁故の
あった方々に対し、写真機を向ける事が出来ますか…」

 と、自問してしまうのです。

 ところが驚く事に僕は、「出来ます。」と即答可能なのです。

 しかしそれには、とても困難な条件があるのも確かです。

 それは、これまでに自分が参列したような、ごく一般的な「お葬式」のスタイル
においては、そんな事は絶対に無理だと言う事…

 つまり僕は、いわゆる仏教徒として敬虔でもなんでもなく、もっと言うと敬虔
であった歴史さえ全く無いと言うのに、それをそのまま保留して、仏教の僧侶に
何か人生の一部を依存しているような体裁だけを、自分の子供達にも伝えて行く
事等は、本当に正しいのだろうか…と言う考えが一つあり、それを理由として、
仏教やお寺と言うものの存在に対して、日本の歴史の一部として尊重する気持ち
以外の部分で関係する事を、完全に止める事は出来ないのだろうか…
と思っているのです。

 とにかく僕は「お葬式」のスタイルが従来的でなければ、そこにどのような
清々しい側面を見出してどんな行動をとろうとも、誰の事も傷つけずに、やりたい
ようにやれるのではなかろうかと思っているのです。

 これはもう、こうやって記述して、モニターに写された語句を眺めただけで
反射的に降りかかってくる課題の、あまりの多さに早くも押しつぶされそうですが…

 しかし早いうちに、はっきりとした意思表示が必要だとは思っています。

 でも写真プリント、と言うものが持つその存在の普遍性に対しては、僕は敬虔
だと思いますけど、、
by flierone | 2010-04-18 18:11

自尊心の価値


 前回僕は、実はある話の導入として「デリケートな空気」を書き下ろしていた。
ところがその導入部が少々予定より長くなってしまい、一段落した際に、もう本題
に戻って語る意欲が無くなってしまったので、自然に終わらせておいたのだ。
まぁ僕自身の四方山話なので、誰にとってもそれ程の不都合は無いだろうと思って
いたのだが、自分自身にとってどうもやはり消化器系に膨満感が残るので、やはり
書いておこうと思う。

 そんな訳で、僕はどういう訳かこの10年ほど、様々な場所で様々なネタを掲げ
た講師としての仕事に取り立てられがちなのである。

 これは正直に言って、自分からそこへ意欲的に向かおうとしても向かえるもので
も無いし、また逆に言って率先してそのような仕事をしたからといって、年収が
飛躍的にアップすると言う物でも無いので、そういう仕事をしてるからどうのこう
のと言いたい訳では無い。実際そのデモ講習というものは自分がやらなければ他の
誰かがやると言うだけの話であり、自分のネームに受講者が集まる訳では無いので、
ギャラなどは本当に、ブローニーフィルムを数十本とバライタ紙を数十枚買ったら
おしまい、、という程度なのだ。(自分がギャラを何に使っているのかがこれで
バレる訳だが、、)実際、自分のサロンで地道にお客様を相手にしたほうがよほど
儲かるのである。

 それでも僕がこの副業をやり続ける理由は二つあるように思う。

 その一つは講義をやる為の事前準備、これは確実に自分の基礎スキルをアップ
させてくれると言う事。様々な、技術と技術の関連付けをまとめ上げると、普段の
自分のサロンワークにおいても、驚くべきムダの排除が自然と行われ、それによって
仕事に疲れなくなると言う事。この部分は自分の中のクローズ状態でやるどのような
トレーニングにも、置き換えられない独特の物なのだ。

 そしてもう一つの理由となるある欲求、これは特にその欲望を持っている自分が
悪いとは思わないので正直に言うと、要するに目立ちたいという自己顕示欲なので
ある。

 この部分は、自尊心という言葉を使っても良いかもしれない。

 それついても僕は自分の中にあるその部分を、時に開放し、時に押さえ込み
特別に振り回されたり、悩まされたりすることも無く、上手に付き合ってきたと、
自分では思っている。

 ところが昨今、僕は複数のある精神医療の学者が書き散らかした文章を目にして
少々の自問自答に追い込まれている。

 それは過去と現在の世界中に存在した、冒険家、探検家の心理について語るもの
で、その中にあった批判的な側面だったのだが…

「彼らが膨大な労力を費やして追求するその行為、その原動力となりうるのは
やはりそれ相応の見返りとなる対価なのである。」

「自尊心という用語を持ち出して、それを説明しようとする心理学者は皆ここで
つまずく。」

「自尊心というものは、それが他者からの尊敬や、またそこから得られる特権に
変形しない限り何の価値もない。」

「自尊心は社会とのつながりで構築されて、はじめて重要性を持つものなのだ。」


 この話の中に、今自分が置かれている環境に相当するような部分は全く無いと
は思うのだがしかし、賃金に見合わない労力を費やしていると言う部分で、つい
自分を振り返ってしまったのだ。

 僕は前述で自分の自尊心を自認した。しかしこの批判を読んだ時、自分が講習
をやっている際、その受講者の方々にもある自尊心を始めて認識した、、とかいう
ようなベタベタな話では無い。僕はそれをとうに知ってるから、前回から言ってる
ように「空気」が「デリケート」だと思っているのだ。

 僕は自尊心や自己顕示欲の一般を語れる専門家ではないし、またこんなPCの
キーボード上で解決する問題とも思えないので、単に自分と自分から見える場所に
いる他者の話。

 つまり、一般人であるこの僕の自尊心などと言う物は、無用で無価値だ、と
すっきり折り畳まれた事に対する心の葛藤について、延々と恨み言を書き連ねて
みようか、という気分に落ち込みかけたのだが、またこれも横道の話であり
そんな時に舞い込んだ、いつもと少々違ったカテゴリーの講演依頼についてが、
今回のテキストの本題である。





 その公演依頼とは、ある私立高等学校の3年生を対象とした「職業講演会」の
依頼であった。

 それはどのようなものかと言うと、進学なり就職なり、とにかくこれからの進路
選択を迫られた彼らに対し、現実的な目的の参考になるように、今現在社会にて、
活躍しておられるあらゆるカテゴリーの職業に従事する方に、その社会生活の実際
を、高校3年生にわかりやすく正面から講義してもらいたい、と言う物である。
生徒達は20名ほどの講師が担当するその教室のどれか一つを受講するという形
だった。

 実はこれは僕にとってはじめての経験では無い。

 前回は高校教師をやっているある友人の依頼だった。その空気を全く理解
していなかった僕は、その筋の際どい衣装を着せたモデルを教室に連れ込み、
仕事の実際についての講義などはそこそこにして、見栄えのする強力なヘアメーク
を実演し、モデルに教室内を練り歩かせるという言語道断な事をやってしまった
のだ。

 これは後から考えてみて、自分の近代10年史の中で、最も不適切な行為だった
と反省している。

 それはつまり、僕はその場で自分の自尊心、今となって解る言い方をすると
その場にいる高校3年生に尊敬される為の行為を行っただけなのだ。

 今時の20歳前後の若者は、例えば集団でセーラー服を着て、文化祭の出し物
レベルの歌と踊りを披露する、普通か或いは普通未満の女子たちを、アイドルとして
時に「神」と呼んだりしてるじゃないか。だからその場で自分たちが瞬間的に尊敬
を集める事なんて容易なのだ…彼らにとって尊敬するという行為は、それほど大袈裟
なものじゃないんだから…という気持ちだったのだ。

 とにかくそれは17歳高校生にはうけた。でも隣の教室の生徒にもうけた。
だからその隣の講師さんには悪い事をしたとも思っている。

 しかしこの講演は、その後誰の心にも何も残す事は無かった。

 次の年度以降その講演依頼が、一切やってこない事が、僕の反省の裏づけと
なっている。

 その時とは全く関連しない別の筋から舞い込んだ今回の話を貰った時、僕は
その過去の経験と、そして件の精神医療学者のテキストなどについても振り返り
自分がそもそも、その手の依頼の役に立てる人間なのかどうなのか、について、深く
考え込んでしまったのである。

 僕は前回の時、自分の職業の一番表面にある、気楽で、派手で、美味しくて
責任問題の薄い部分を、提示する事で、自分の職業を面白おかしく表現しようと
した。でもそれは全くの虚勢だった。

 自分の職業人生の本質を語ろうとすれば、一番苦しい部分とその克服の過程を
詳細に解説するしか無いとも思える。

 一番苦しい部分って何だろうと考えた時、やはり一般的にはその技能を修得する
為の訓練という事だろうか…しかしそれらが困難なのは当たり前であって
実際、高校生くらいになるとそんな事は十分解っているとも僕は思ったのだった。

 そしてそれ以外に苦しい部分について、考えてみた時に、ぼんやりと晴れにくい
霧のように浮かんできた事、それは年に1回、2月末から3月始めにかけての
イベント…税金の確定申告の事だった。

 冗談のようなこのファクターは、考えれば考えるほど自分の中では現実味を
帯びてきた。

 そして僕はその講習依頼を引き受ける返事をしたのだった。





「今、皆さんの手元にお配りした二枚のプリントを見て下さい。それはですね
この僕が5年ほど前に国税事務所に提出した、確定申告書と、収支内訳書に
なります。」

「これはですね、毎年1年間の自分の収入を明らかにして、それによって国に
支払う税金をはっきりさせる事が目的なんです。」

「確定申告書が一番重要な書類で、その収入の部の詳細を明らかにするのが
収支内訳書となります。この収支内訳書と言う物が、もうそのものズバリ、僕が
その1年間に、職場でやった事全ての内訳であってですね、極端に言うと僕自身
のその1年間の設計図だと言っても過言ではないのです。
まず左最上部の数字、これは僕が自分の美容室でお客様から受け取った代金の
全てなんです。そのうちの半分位はヘアカラーなどで頂いてますし、3割くらいは
カットだけで頂いてます。そしてお客様が、シャンプーとかを買っていかれたり
しますよね、そんな代金が5%くらい含まれています。お客様お一人お一人に
平均すると大体7千円くらいを頂いてるような勘定になるでしょうかネ…」

「結構儲かってんじゃん、とか思いますか?」

「でもね、僕の手元に入ってくる金額に関しての項目は、この一つだけで
後、その下に続く沢山の数字の山は全て皆、出て行ったお金の項目なのですよ。」

「先ず仕入れ金額という項目を見て下さい。これはね、僕の店にパーマ液や
シャンプー剤などの仕事材料の卸売りをしてくれる会社があってですね、
我々はそれらの会社を美容ディーラーと呼んでる訳ですが、そこに一年間で払った
金額の全てがこれになります。」

「この部分はね、例えばタバコ屋さんがタバコを売って10万円儲かる
為にはいくら仕入れしないといけないか、と言うのが決まってるようには
我々の商売では決まっていないのです。100万円売り上げる為に8万9千円位
しか仕入れしない店もあれば、100万円売り上げる為には25万円位仕入れ
なくてはいけないと考える美容室もあるのです。」

「お客様の側から言ったらですね、例えばおしゃれ染めをして6000円払った
としたらね、何百円とかの安物材料で染められるより、上等で高価なな薬剤で染め
て貰った方が、髪も痛まなくて良いに決まってると言うかもしれませんね。
実際に、安い薬剤で処理された髪は確実にその分のダメージを受けて、見た目の
風合いの悪さにつながりますから…」

「でも世の中そう単純じゃないんです。例えば安い材料を使ってる店の方が
高い材料を使ってるお店よりも、仕事のスピードが2倍速いとしたら、お客様の
意見は結構分かれてしまいます。」

「髪なんて、身だしなみのために仕方なくやってる訳で、必要以上の時間を取られる
事は苦痛以外の何ものでもない。第一毎月どんどん伸びちゃう訳だから、少しくらい
傷んだって良いのよ、と言う人もいるかもしれませんしね。」

「でもまた反対に、傷んでも構わないと今は言っていても、長い年数を経過すると
そうも言ってられないように容姿の衰えに問題が出てくることもあるので…」

「しかもそもそも我々は、材料の原価を正直にお客様に提示したりはしない訳です
からね、とにかく話は簡単じゃないのです。」

「僕の考えをズバリ言うとそれはバランス、の一言に尽きます。」

「そして次、期末商品棚卸高、という項目があるの、わかりますか?これはです
ね、平たく言うと売れ残りって事なんです。結構売れ残ってるんですよ。
凄いでしょ…これはね、メーカーがある一つ商品をね、100本買って下さったら
卸値を3割引きますよ、とか言って誘惑して来るんです。そしたらこちらはですね
お客様感謝キャンペーンとかいう名目を設定して、販売キャンペーンを展開する
わけです。でも目論見どおりには行かないんですよね、なかなか…まぁまぁ良いとこ
売りさばいても、残った物が積み重なると結構な売れ残りになるわけです。」

「次は右側の数字に移動してみましょうか…」





 という様にして、僕は高校生を前にして講義を進めていった。

 少なくともこの時点で、僕は彼らに尊敬されようなんて意志は全くなかったし、
尊敬されるとも思っていなかった。

 しかし自分の中にある自尊心の部分はどうかというと、これもまた傷つけられる
事なく、むしろ僕という自己をその場で、包み隠さず提示するという意味において
その気持ちよささえ感じるほど、僕は満足していたのだった。

 だからこの実験結果において、件の精神医療学者に対して言いたいのは
他者からの尊敬、ないしはそれによる特別な権利などを享受する事が全く無かった
としても、自分で自分を尊重する心理には、とても大きな価値を感じる時がたまに
確実にあるって事なのである。

 嗚呼、すっきりした。



しかし、、

「この差し引きの収入を5倍くらいにする事も出来ますか?」

とか、

「自分のお父さんの年収の方が遥かに多いので、こういう話ならお父さんに
聞きます。」

とか言う質問が飛び交わ無かった事は幸運だったかもしれない。

 ある意味、究極に危ない橋を渡ってしまった…




「はい、それじゃ皆さん、講義はこれで終わります。しかし皆さんにお配りした
その二枚の資料なのですが、残念ながらそのまま持ち帰って頂く訳には行かない
ので、回収させて頂きます。後ろの人から順番に前に回して下さいネ、宜しく
お願いします。」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
by flierone | 2010-04-11 17:56

デリケートな空気

 僕は自分の技能を活用して、我々の顧客商売に必要な材料を同業者にプレゼン
して売りさばくという副業を持っている。すなわち僕の顧客は髪の毛のスタイ
リングを必要とする一般のお客様と、それを提供する側の美容師双方に渡って、
広く分布している。

 同業の美容師に対する、商材のプレゼンテーションという作業は、とてもデリ
ケートな空気感を孕んでいる。と言うのは例えば、、

「このパーマ液はとてもウェーブの効率が良いのです。」
「お客様の毛髪にとってメリットのある成分がふんだんに配合されています
ので、あなたはいつも通りの施術を行うだけで、きっと貴店メニューの
グレードアップが見込めます。」

と言った具合に、口だけでどうのこうの言って売りさばけるものなら苦労は無い
しまた、わざわざ僕のような現場仕事人が提案する意味も薄くなるのである。
だから、そこに仮想サロンを設定し、仮想のお客様(モデル)を調達し、実際に
施術のデモンストレーションを行う事で受講者の方々は現実的にその商材を自分
のサロンに取り入れる事のメリットを感じて頂く、というのが我々の目的なので
ある。

 この、~仮想のお客様に対するデモ、と言う行為が先ほど言ったデリケートな
空気感を孕む行為だと言う事なのだ。

 どうデリケートなのか…

 例えばパーマ薬液のデモであれば、モデルの頭髪のあらゆる部分に、パーマ
をかけるためのロッドを巻きつけると言う作業は欠かせない。ある部分は密に
巻き、そしてある部分は凄く分厚く取った毛束に一本だけ巻いてみたり、要する
にメリハリのあるデザインを完成させ、その場で出来上がった仕上がりスタイルが、

少なくともそのパーマ液の他とは違う存在意義を補完するようなものでなければ、
そしてそれが広く平均的な美容業従事者から見て納得できる物でなければ、
全く時間のムダになるのである。

 ところが必ずその受講者の中にいる10数%の人たちは、自分が長年やってる
やり方とは違って見えるその途中経過のテクニックに対し、自分が何らかの優劣
をジャッジされでもしたかのような違和感を感じるのだろうか、時にそれを質問
として投げかけて来る事がある。

「そんないい加減な巻き方じゃ、均等にかからないし弱すぎるのでは?」

そんな時の僕の即答はこうなる、、

「あなたはお客様が、常に頭全体を均等にくるくる巻きにして貰いたがってる
と考えておられる訳ですね、今からそれについて提案させて貰っても良いの
ですが、今日のテーマであるこのパーマ液の能力についてのお話から逸れて
しまうので、又の機会にでも、皆さんで焼き鳥でも食べながら語りましょうで
はありませんか。」

また別の受講者の方は

「自分のサロンでは、年配のお客様が多いので、そんな巻き方は中々受け入れ
られないかもしれない…」

とかも言ってこられる時がある。
これに対しても僕の即答はこうだ、、

「あなたのサロンでは、年配のお客様と言われる方々を実年齢でグループ分け
なさったりしてるのですか?」
「というか、例えば62歳、とか言う年齢はそのグループに入りますか?」

 流石にこのままの文語をぶつける訳ではない。その場の皆さんの顔を
一人飛ばしで順番に見るようにしながら、優しくユーモラスに提言する
訳である。

 これによって、僕自身が何も先達者面をしてあなた方の上から、何かを
与える為に来た訳では決してなく、あくまで同業者として、日々の仕事の
マンネリに起因した様々な「数値」の低下に対して、このような対処方法も
試して見られては如何でしょうか、という事を伝えに来たのだ、という意志が
伝われば、そのプレゼンテーションにおける僕の使命の99%は果たされたも
同然なのだ。

 ところが何年にも渡って、月に一度くらいのこのような仕事をこなしていると
こんな「デリケートな空気感」という物を正確に掴みきれないまま、半分ほど
もの講習プロセスを進めてしまう事が、稀におこってしまうのである。

 終盤に差し掛かってそれに気付いてももう遅い。御来場の方々が、僕が代表
して背負ってきたその看板であるメーカーの商品に対して、どのような感情を
持ち、そしてどのように今後扱っていくのか、その全ては受講者の皆様の自由で
あり、どのように無視する事も自由なので…

 だからそのような感覚に対して、常に自分が公平であれるように、たまには
他所で同じような目的で開催されているデモンストレーション講習に、自分が
受講者として参加する事もしなければならない。

 そんな折に訪れたセミナーでの話、

 それはある美容薬剤メーカーがリリースした、ヘアーカラー用薬品の発表会
だった。デモンストレーターとして登壇したのは、東京のある美容室激戦区で
サロンを運営する30代の美容師とそのアシスタントだった。そして4名
ほどの男女モデルに実際のヘアーカラーとカット施術を行い、その仕上がりに
よってヘアーカラー剤の特徴的優位性を説明するというような趣旨だった。

 その講師である彼、ある程度正しい日本語のため、第一印象は僕にとっても、
良いものではあった。
 しかしその、自分が何処でどのようなサロンを運営してると言う事についての
説明が、少々長すぎる事から始まった、その日の主題から外れた、様々な四方山
話(例えば自分のサロンがどれ程芸能人の顧客をかかえているかとか、)のしつ
こさに、10分経過した後から徐々に僕は不快になりそうになった。

「あなたのサロンに来店なさってる吉本芸人の何某と、今日、我々が見に来た
ヘアーカラー剤は直接的にはそれ程関連しないように感じるので、その部分は
もういいです。」

 こんなクレームを僕は気分の中に抱えながら、それ以降の講義を聞く事になり
そうだったのだが、何分相手は30代中頃の男の子、、なので、広い気持ちで
自分をリセットしておいた。

 しかしそんな此方の心理を知る由も無い彼は、更にそのセミナーを迷宮に
誘い込み、受講者の皆さんに普段の仕事とは違った種類の疲れとストレスを
与えるに至ったのである。

 彼は、自分が技術関連の何かの提案とも取れる発言をした際、受講者の
瞬間的なリアクションをとても気にしていた。例えばその内容は、今我々は
ヘアカラーの話をしてると此方が思い込んでいたら、突然クレーム客の
対処方法に関する提言が飛び出したり、そうかと思えば、今度はある特定の
ファッション雑誌を引き合いに出して、サロンのほとんどのお客様がその雑誌の
読者である事を前提としたような、ヘアースタイリングのテクニックみたいな物
に話が及んでみたりと、とにかくまとまりの無い美容室カオスについて、何かを
提案したがっているのである。

 その内容は断片を取り上げてみると、それなりに面白い要素について語って
いるのは分かる、しかしどうにもこうにも話に脈絡が無いので振り回される
のである。

 彼は日本でも有数の商売激戦区において、数年間自分のサロンを栄えさせて
来たという自負もあるのかも知れないが、それ以上に、地方で商業を営む
受講者の皆様に、少しでも多くの有益な情報を無償で提供してあげようと言う
もの凄く心優しい青年なことは確かなのだ。

 しかしもう、内容が支離滅裂なのである。

 彼は、自分が発した一言一言の度に、会場が沸き上がらない事に、とても
責任を感じていた。

 そのため彼は序盤から、内容の合間合間に、全く笑えないジョークを挟んで
きた。それでも特に反応を示さない会場に対しても、彼は打たれ強かった。
完全に間違った部分で、彼は自分の10数年の客商売キャリアを生かして
乗り切っているように見えたのだった。

 やがて彼は、最前列に座っている僕の席付近にだけ聞こえるような声で、こう
言ったのだった、

「僕のキャラクターは此処には合わないかも…」



 僕はこの彼の事が嫌いではないと言う事を前提に言って、彼はその場において
激しく全てを勘違いしていたのだ。

 僕は心の中で呟いた、

「あなたのキャラクターはね、僕はガシッと抱擁したいくらいに大好きですよ。
だけどね、そのキャラクターは、あなたがいつの日か自分の名前を冠したヘア
ショーなり何なりを開催した時にネ、発揮なさると良いんですよ。
でも今日だけは違うんです。会場が盛り上がらないのは貴方のせいでも我々のせい
でも無いのですから、と言うより盛り上がる必要が無いのです。解りますか?
このヘアカラー剤とそれに関連する情報について、少なくとも今日この商材を
始めて目にする我々より、貴方の方が良く知ってるという大前提を、ここにいる
全員がとりあえずは受け入れているから、皆さん受講してるんです。だから貴方は
その情報を出来るだけ大量に提示してくれさえすれば良いのです。」

「ほら、さっきカラー剤を塗布し終えたモデルさんを御覧なさい。施術の最中に
貴方がつまらないジョークばかり言って、髪の毛を梳かし過ぎるから、すっかり
薬剤が移動してしまって、ろくろく発色して無いじゃないですか。あの分じゃ
あと30分放置したとしても、ろくな色は出ないと思いますから、速攻で薬剤を
再塗布なさった方が良いですよ。」

「それから貴方のアシスタントさん、さっきから向こうのロングのモデルさんに
30分近くずっと、カールアイロンをかけ続けてますけど、モデルさんの不安
そうな表情、あなたチェックしてますか? あのまま放っておいたらナチュラル
系のファッションを装った彼女にとってはきっと、見た事無いようなキャバ嬢
ヘアーが完成してしまうと思いますが、大丈夫ですか?」

「ほら、気を取り直して軌道修正して、、終わり良ければ全て良し、とも言う
じゃありませんか、、」



とは言うものの、その時の彼には、突進したり修正したりするべき軌道、という
ものの実体さえ見えていなかったようなのである。

「お決まりのモツ鍋とラーメンくらいでは、とても今晩の彼の気分を慰める事は
出来ないだろうな… 福岡の事が嫌いになっていなければ良いのだが…」

 とまた僕は呟いた。

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三銃士


by flierone | 2010-04-09 18:08