FLIER in Dark and Sensitive Room, Hours from Dawn to Dusk till Dawn

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アナトリアへの道


「Road to Anatoria」 ~ Nicolas Bouvier

 エンゼルハルムより東の道は全く人気が無かった。
村と村はとてつもない距離で隔てられている。
何らかの理由で車を止め、明け方まで外で過ごす事も
ある。フエルト地の、分厚い上着に包まり、毛皮の帽子
を耳まですっぽり被り、タイヤの陰に置いたプリムスの
ガスバーナーの上で沸いている水の音に聞き入る。丘を
背にして星を見つめ、コーカサス地方のほうへ心なしか
移動しているような大地を、燐光放つ狐たちの眼を見つ
める。熱々のお茶をすすり、ポツリポツリと話を交わし、
煙草を吸っているうちに時は流れ、やがて朝日が昇り、
あたり一面に光が広がると、鶉と雉がそこにまぎれ…
そして、溺死体のように浮上するこの至高の時を慌てて
記憶の底に沈めにかかる。それはまたいずれあらためて
記憶の中に探しに行けばいいのだ。伸びをして、1キロ
は身軽になった体で何歩か歩くと、「幸福」という言葉
が、この身に起こった事を言い表すにはじつに貧弱で、
個人的なものに思えてくる。

 結局人がこの世にある事の骨格をなしているのは、
家族でも職業人生でもなく他人にあれこれ言われたり
思われたりする事でもなく、愛の浮揚感よりも、そして
我々の虚弱な心にあわせて、人生がちびちびと分配する
浮揚感などよりはるかに晴朗な浮揚によって掻き立てら
れるこの種の瞬間なのだ。



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NHKのある番組で、俳優の本木雅弘がロングインタビューを受けていて
唐突に奇天烈な衣装で「スシ食いねぇ」を熱唱するアイドル時代のVTR
が流された時それを事も無く貫禄の無表情でコメントしていたのが、
とてもクールだった。

無粋な詮索などに、一々動じていられないのだろう。

自分に当てはめた時、一番好きな食べ物はと聞かれたら食パンの
トーストだとキッパリ答える事にしている訳だが、その時の気持ち
と同じ様な感じだろうかなどと想像してみる。

「あんたホント、食いもんの事知ってるの??」と思う人は思うだろう。

しかし博多育ちのこの僕は日本の食という物を、風俗的な観点からも
歴史的な観点からも、はたまた技能的な観点からも、良く知っている
と言える自信があるから…もうどうでも良いのである。

しかし食の事など、この際もういい…

正味な話、僕は本当に知らないことが多すぎるのだ。

読んだ事の無い本、見た事の無い映画、そんなやろうと思えばすぐに、
取り組める物はさておき、行った事の無い国、逢った事の無い人々や文化
といったそう容易く気分の向き不向きで取り組む事の出来ない大きな事
にしても…

せいぜい、書物やインターネットから得られる情報に深く触れ合う事で
“知っている”という気分を味わっているだけだという後ろめたさを
常に感じている。

しかしそんな僕は“知らない事”に対してコレだけはいつか近いうち、
そのど真ん中に飛び込んで“知って”やるのだ…と思っている事柄の
数々をストレージするための、心の小部屋を持っている。

だからそれまでは、本質的に“知らない部分”をうやむやに内包したまま、
“理解できる”という安易な結論に着地する事を避けて通らねば…
と、この人の文章に触れて感じた。

図像調査士にして作家、旅行家にして写真家、Nicolas Bouvier(1953~1998)
by flierone | 2010-01-28 17:18