FLIER in Dark and Sensitive Room, Hours from Dawn to Dusk till Dawn

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MAGIC HAND_04

僕の母は、息子の友達付き合いなどに関しては、非常におおらか過ぎるほどおおらかで、出来る限り干渉せず、自発的な判断に任せるような教育方針であったと思う。

そんな母が、その数日後に突然僕の知らない理由で放課後の学校にやってきて職員室で先生と長い面談をしたりした事は、とても珍しい出来事であり、それをとにかくひたすら待った事は忘れられない。

母の目的は、間違いなく、MAGIC HANDの彼がおばあさんから受けていたと推察されるところの虐待事実を糾弾することだったのではなかろうか。

長細い痣は見るからに間違いなく、彼のおばあさんがついていた杖が遠心力で振り回され、そして彼の太ももに当たった結果残るに至った「暴力の痕跡」なのではなかろうかと、母は疑ったのである。


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その晩、僕の母は父との会話で激しく学校の担任教師を罵倒していた。僕が8歳くらいの頃だったので母は27歳くらいという事になる。今現在40歳を過ぎた僕から見て、27歳ぐらいの女性がそのように我を失った感じになることなんて、まぁ時にはあってもよいだろうとは思うが、しかし僕にはその姿がかなり異様に映っていた。

だけど僕は(これも一つの記述保留している点なのだが)、この我々の担任教師が、自分のシマであるところの校庭隅の雑木林において行った、何件かの体罰暴力について、考えを巡らせていた。
しかし自分のギプス姿の由来に関する事も両親には伏せていたので、僕はその事についても他の事についても何もその場では言わなかった。

犠牲者となる子供は間違いなくこの担任に媚びる事を知らない親の子供…
或いは長屋住まいの子供…
或いはそれ以下の子供…
だったのである。

MAGIC HANDにしたって例外ではない。
かれは「それ以下の子供」なのだ。

この教師がそう考えていた事は間違いない。

なんといっても隣の友人を売って落とす事によって相対的に自分が上にいるように振舞いなさい、という事を教えるような人間なわけで…

だから家庭内での児童虐待に関して、その良し悪しについて積極的に乗り出すような考え方の資格も能力も、到底持ち合わせていた筈はないのだ。
第一自分も加害者の1人だし…

それにしてもこのババァは、その後何年教師を続けたのか知らないが、間違いなくこの筋の精神的トラウマを練りこんだ子供を何十人も卒業させた事は絶対だと思う。


とにかくその日から、おばあさんが亡くなるまで、正味2ヶ月も無かったかも知れない。

そのあいだの出来事は、もう僕の記憶には全く無い。

しかし僕はそれ以前の彼の身の回りに関する事で、気付いた事件を幾つか思い出す事で、いろいろな事を裏付けてしまうに至るのである。

僕が最初に書いた大雑把な当時の長屋暮らし…

その中で具体的に挙げた例の一つ…

「いつも意味不明の空のリヤカーを引いているおじさんがいて…」という部分なのだが、それは正確に言うと意味不明でも何でも無かったのだ。

彼はそのリヤカーで「くず鉄」を拾い集めていたのである。その仕事は往々にして朝早くに行われていたかも知れない。

MAGIC HANDの彼はその仕事を手伝ってほんの僅かの小銭を稼いでいた。

或る日、僕が目撃したのは…

彼がおばあさんと二人で、そのリヤカーおじさんが基地としている場所(それは貯水池の辺の、汚い掘立小屋みたいな所だった)に入って行くのを見つけたのだった。
そして僕は彼と遊ぶつもりだったので、そのまま近くで待っていた。すると出てきたおばあさんがいつもと違って、とても攻撃的な雰囲気に見え、彼から小銭みたいな一掴みを乱暴に受け取った後、その自分の杖で彼をかなり激しく一撃したのである。

リヤカーおじさんを手伝っていたのは間違いなく彼一人だった。おばあさんとおじさんの直接接点は無かったと僕は言い切れる。

然るにいかなる理由があったとしても、その報酬を受け取る際に、彼が第三者から無意味な打擲を受ける筋合いは全く無い筈なのだ。

だからただその断片としての事実を取り上げただけでも、それは絶対に間違った行為なのだ。

記憶内の出来事については、我々はもの凄く冷静にその事態を判断し解釈する事が出来ると思う。
それはその時の前後関係からくるしがらみ的な事をいっさいそぎ落とし、非常に客観的に物事を考える事が出来るからではなかろうか…

今思う事は、MAGIC HANDに起こった出来事の、数々の断片は、彼にとっては理不尽極まりない事だらけだったように思う。

学校のクラスメートが彼に対して行った様々な接近と後退、または担任教師がおこなった行き過ぎの体罰。
そしておばあさん…

彼には自分の保護者を選ぶ権利は無かった。

いやどんな子供にだってそれを選ぶ権利なんてありゃしないから、言い直そう…

彼は普通の保護者が当然与えるべき最小限の“情け”さえ、持ち合わせないような人間に「保護」されていた可能性が高い。

その“情け”とは、

過去も今も世間に当然あるべきものという前提なので、時には見過ごされて過ぎてしまっている、愛情とまで言わない原初的な観念…

又は子供を作る時に、自分に起こる「変化」という形でのデメリットやリスクを当たり前のように計算してしまう、発展途上の大人達には当然理解されないところの「無償」という名の想念…

そのようなものの事である。

それを僕が否が応でも感じてしまった瞬間というのが、僕と父が一人ぼっちの彼のアパートに泊まりに行った最後の晩なのである。

MAGIC HANDの彼という僕にとってその時点ではどうとも言えない漠然とした友達という存在に、突然降りかかった「孤独」という成り行き…

そしてそれに対して、本人以上に怯えている僕自身…

考える力はほとんど無いような幼い僕が、「知る」事に対してどういう訳か貪欲であったために、はまり込んだ沼のような気分…

「彼の見た目がそれ程深刻そうに見えなかった事」が、僕のそういった気分に拍車をかけ、さらに意味不明の感情に塗れてしまった自分…

それを僕の父は敏感に察知していたのかもしれない。

僕はギプス姿という「暴力の痕跡」を両親に見守られながら、自然と忘れた。そしてそのトラブルの対象は僕にとってはいてもいなくても良い無意味な存在だと断言できるほどに、僕は両親から愛され、サポートされていた。

でも彼の「暴力の痕跡」はそれを行った張本人がこの世からいなくなったその時点でも、まだ存在を主張していた。

彼は最後におばあさんに叩かれて、内出血したように腫れた脚が、まだ癒えていなかったのだ。

とにかく僕はその時点で様々な出来事を「認知」していた。

それだけでなく、それなりの小さな「考え」の塊も持っていた。

だけど僕はその年頃にしては、それほど単純でないと同時に無口だったのだ。

いや、単純でないというのは決して慢心ではなく、例えば野球をやってる同級生が、尊敬する人を聞かれて、即座に「ベーブ・ルース」と答える程には単純でなかったという意味だ。

でも僕の幼少の思い出は先に言った様にとても平坦だったのだが、それは僕自身のやり方に、なにかまずい点があったためにそうなってしまったのではなかろうかという思いが浮き上がってくる。

もっと他にやりようがあったのではなかろうか…

担任教師の体罰は、母に申告する事で周辺に対しても事態の改善が望めたのではなかろうか…

感情をあまり表現しない僕に対して、父はもしかすると悩んでいたのではなかろうか…
僕が今、何らかの後悔の念を感じるとしたら、それは知っていて何もしなかったという事実なのだ。

僕は家族から一歩はなれた学校社会においては、どんな積極的行動もしなかった。同級生も、先生も、全てが馬鹿らしくあり、無理やり線路を横切るという無意味な行動に、それらから来る自嘲的意識を発散させていたのかも知れない…

でもその一見、無関心に見える態度が自分の父親にまで影響してしまったかもしれない事は僕が希望しない成り行きだった訳で、それに関してはもう取り返しがつかないという想いもある。


とにかくそれほど僕から見て孤独だった彼に、その窮地から救い上げるような血縁者がいたとは思えないにも関わらず、彼本人は僕のお株を奪うほどの平坦で平常な態度で、その夜を静かに過ごし、そして僕の前から去ったという事実は…

未だ僕にとっては、処理不能の放射能を放つ経験という名の客体なのである。

もし万が一彼がサリドマイド児であったなら、その希少性から、追跡可能であるかも知れない…などと以前に一瞬思った事があるが、しかしよく考えるとやはり無理だし無意味だ。

僕は彼に逢いたいわけじゃない。



「情けを持たない身内よりは、情けを持たない他人の方がマシだ…」
という、言ってもいない彼の声が今の僕には聞こえる気がする。

彼は僕にとって、その存在の全てが諸行無常なのだが、その反作用として、僕に対し脱力の一瞬を許さないプレッシャーを与え続けている。

周りの環境に対して関心を持って行動するのに、もはやこの先一生、休憩さえ出来ない事に対して腹をくくらなければならないと、僕は彼の思い出から学んだだけなのだ。


               


by flierone | 2009-03-13 14:28

MAGIC HAND_03

彼自身の見た目はそれ程深刻そうに見えなかったという事…

これについて詳細に振り返る事から逃げられないというのが、僕が今回ペンをとったきっかけであるのだが、それが多分に憶測を含むと同時に、誰の為に何の目的で記述されるのかが果てしなく不明に思えるので、文面ががらっと変化したように、自分でも感じるが…
この際それは気にしない。


僕は「暴力」と言うものを激しく憎む人間なのだ。

と書くと、それはある意味当たり前すぎて、また人によってその性質の違いからくるいろんな意味での暴力が存在しすぎて、一概にこういう記述にどんな返答を返してよいのか解らないほどに、今の世界は暴力に満ちているように思う。

社会に於いて或いは家庭内に於いて、個人が他の個人に対して精神的或いは肉体的に大小のダメージを与える為、ないしは個人が持つ内的な負の力を放出する為に行われる行為。

それを説明しようとするとこのように主体と客体に関する語句を混ぜ混ぜにして記述するしかないような、10名による10通りの内容が全て一理あるとも思える言い方をするしか無い…

それが暴力というものだと思う。

とにかく単純に言ってその行為自体の本質は、このテキストの舞台である昭和40年代でも、現在の21世紀でもほとんど変わっていないと僕は思っている。
僕が自信を持って指摘できるその本質とは、最初に記述した1行、
人にはそれぞれ個性があり…
そしてその相違を理解出来るが故の暴力、
理解出来ないが故の暴力、
又は自分の個性を理解出来ないが故の暴力、
だと断言してしまいたいのだ、この際…

現代では、ただそれがどのような性質の物であるのか、それを色んなカテゴリーに分ける考え方が進化しただけだろう…

かく言う僕は高校生の時分に、このシュラフに包まって僕らの隣に寝ていた父に、果てしなく暴力に近い体罰を受けていた…

でも僕はその時に、それに対して現代の若者が受けるようなダメージも受けず、また現代のような対処もせず、ただひたすらに自分の問題として乗り越えたというだけの話なのである。

きっかけは当然、僕自身に指導を受けるべき過ちがあった事…これは確かなのだ。

ただ、その行為が決まって父が泥酔してる時に行われた事や、少々やり過ぎの感じであった事などを総合判断して、「果てしなく暴力に近い体罰」と僕は表現しているのだ。他意は無い。

それにしたって、建設関係の技術屋であった父が、なまじっか大きな会社の一員であったが故に、仕事社会で身に降りかかった紆余曲折が事の一因であり、その目的は間違いなく家族の為であった訳で、今さら恨む気は無い。

ただ客観的に言うところの暴力という物の存在を憎んでいるという事だ。

この文章の中にも先に一つの暴力が登場している。

僕が担任の教師から受けたという暴力的体罰だ。

これは客体としての僕のギブス姿という、暴力の痕跡を残すに至った。

その痕跡が行った側と受けた側に等しくダメージがあったなら、その行為はいつの日か無かった事に出来るかも知れない。

とにかくそう…暴力の痕跡の話である。

この話で記述せぬままに保留している部分…

それをどのきっかけで話そうかとても迷いつつここまできてしまったのだが、我々家族四人とMAGIC HANDの彼で海に行った時まで時間を戻すのが1番わかり易いかもしれない。

MAGIC HANDの彼が海パン一丁になった瞬間に、それを見咎めた僕の母が、彼の腰周りから脚にかけて集中する数々の蒼あざについて、その一つ一つに異様に質問攻めにしていた事に、僕の意識は集中してしまう。

その時の僕の母が発した言葉の数々が、どういう訳か僕の心に突き刺さっている。

「これはテーブルの角で、打ったりしたの??」

「この長細い痣はどうしたの??」

「これはいつごろ怪我したの??」

その時の僕は、母に対して「母ちゃん・・もうそんなのどうだっていいじゃない」「早く海入りたいし・・」
みたいな感じでただ焦れていただけだった。

でも今なら解る。

そんな蒼あざだらけの子供を見たら、瞬間、その子供の身辺環境についてあらゆる疑いをかける必要があると思う。

現代ではそれは当たり前の事かもしれないが当時としては、子供が転んで蒼あざだらけだったりする事に対して僕の母ほど敏感に反応する事は、一般的でなかったかも知れない。

少なくとも、学校の担任教師にその役目を望む事は到底無理であったと思うので引き合いに出す事は止めよう。

とにかく彼の蒼あざは少し普通の範囲内を超えていたかもしれない。

内容を出来るだけ細かく思いだすと、太ももの付け根の外側に長細い痣が数個、これが1番目立っていた。そして鈍器で突いたような丸い痣が数個…古いものから新しい物まで色々とあったのだ。

もし仮に、それが「暴力の痕跡」であったとするならば、その行為は日常的で現在進行形であったと考える事は難しくなかったと思う


(もう少し続く)



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by flierone | 2009-03-12 18:28

MAGIC HAND_02

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小学生男子には、その年代特有の独特な距離感という物があるのではなかろうか、

それは精神的な意味でもそうだけど、物理的な意味においてもそうだ。

つまり、小学校低学年の男子などがよくやる、四六時中べたっとくっつきあって、取っ組み合いをしてみたりと言うような濃厚なスキンシップの事である。

我々にもそんなスキンシップがあった気がする。

しかしそこで思い出すのは、彼の洋服からは独特な匂いがいつもしていた事だった。

単刀直入に言ってしまうと、彼は路上生活者にありがちな匂いをもっていたのである。それも彼がクラスで孤立してしまう一つの原因だったかもしれない。

先にも書いたが、彼はおばあちゃんに面倒を見てもらっていた。その生活スタイルに由来しているのは確実ではあるが、それ以上でも以下でも無いはずだ。彼が将来にわたってきれい好きかどうか、という事には関わるだろうけど、その時点では彼の性格その他には全く関係ない話であり、ましてそれ故に小学生が差別されたりしてはいけないのは確かであろう。

とにかく彼は、そのおばあちゃんに対しての態度だけが、それ以外のいかなる時とも違うと僕は感じていた。

彼はおばあちゃんに関することだけは、よく閃き、よく気がつき、とても機敏に行動してた。

彼にとってはとても大切な存在だったのだろう。

それは当然だ。子供にとって一番大切な存在は親に決まっている。ただそれを態度に表すことが出来ないだけだ。

しかし彼は確実に態度に表していた。

その姿を当時の僕は深く理解する事なんておぼつかず、ただ奇妙に感じていただけだった。



    ●



我々の住む町には海が無かった。

それで僕の親が家族で海に行くのに、彼を一緒に連れて行ってくれた事があった。

僕たち兄妹と彼の三人で散々遊び倒し、丸一日を海で過ごした後、遊び疲れながらもその日の終わりの名残惜しさと共に、帰路につこうとして皆で浮き輪やその他の遊具を片付けようとしていた時の事…
彼が波打ち際から拾ってきた小さな木製の丸椅子を家に持って帰ると言い出したのだった。

その椅子は車に乗せるには、少々油に汚れすぎていたかもしれない。しかも小さいとは言っても人が座れる椅子である事は確かだ。

僕の母が、それはいけませんと言い出したのが、それほど圧政者の言い草とは言えなかったかもしれない。

ところが彼は即座に、嫌だ…と言い張った。

その場で瞬間的に一番緊張で硬直したのは間違いなくこの僕だっただろう。

そうした場合の母が、絶対に子供に対して一歩たりとも譲歩する事が無いのを僕は嫌と言うほど良く知っていた。

しかし彼が見せた突然の硬い態度も、日常にはめったに見せないものであり、一筋縄では行かないものだと悟ってもいた。

だから僕はその瞬間、ことさらに緊張していたのだ。

ところが、僕の記憶の中では比較的影の薄い父が、その状況を即座に解決した。

父は僕たち二人を連れて、その椅子を波打ち際まで持って行き、砂をこすり付けてゴシゴシと磨き始めたのだった、ほどなく彼も夢中になって手伝い始め、次第にその椅子は最初の不潔な状態からかなり改善されてきれいになった。

その状態なら母も帰るまで車の中でひざの上に乗せておいても良いと承諾するだろうという目論見だ。実際、母もそれ以上は何も言わなかった。

そして彼を家まで送り車から降ろした後、母が、いったいあんな椅子何に使うつもりなのかしら…と言った時、その帰り道に僕の心中にずっとわだかまっていた何かの正体が判った。

どうして僕たちは彼にそれを尋ねようとしなかったのか…

「そんな汚い椅子なんて…いったいなんに使うの?」

手首が無いような彼が何かを主張しようとした時、我々はそれを承認するのか、否定するのか、極端な選択に迫られたと勘違いしやすいのはどうしてなんだろう。

彼が不自由なのは手首だけであり、それ以外はすべて我々と同じだと言うのに…

対話不足による思い込みのせいで、差別とまでは行かないが、それに順ずる行為が発生した事は確かだった。

感染しない病気を、感染する、と思い込んで、その病人を一つの場所に長い期間閉じ込めてしまったりする文化を我々は内包しているので仕方が無いかも知れない。

でも30年以上も経ってから、今更そんな彼に対する適切な対処を思いついても仕方が無い。

その数日後に僕は彼の家の極端に狭い玄関の片隅に置かれた例の椅子に、腰の曲がったおばあさんがチョコンと座って靴を脱ごうとしているのを目撃した時に、それをせめて父ぐらいには報告するべきだったと思うのが今になって悔やまれるだけだ。



    ●



僕はこの、何処がどのようにとは未だ一概に言えないような残酷さを持つ幼少の記憶について好き放題に書き散らかしている。

しかし書けば書くほどに、そのマジックハンドを持つ彼の、その存在の無常なる部分にばかりクローズアップしてしまい、彼のその後の人生を全く知らないにも関わらず、そういった幼少期だけから察して、彼そのものをある一つのカテゴリーに押し込めようとしている矛盾を大いに感じる。

だから僕はこのテキストにおいては、知りもしないくせに彼の気持ちになって考えるような、知ったかぶりの記述を極力控えなければいけないという風に思うのだ。

肝心なのは、彼がそんな存在であるが故に、この僕に残していく事になった僕自身の彼との人間関係に於ける経験の記憶なのである。

あくまでも僕が記述する文章において、最も確実な部分は
「僕の気持ち」だけなのだ。



    ●



彼が海から汚れた椅子を持ち帰ったという、件の夏の終わりに、その彼のおばあさんはこの世から居なくなった。


彼がその段階で、完全に天涯孤独な存在になったのかどうかまでは僕も良く解らない。


しかしあの、必要以上に大きな声で話しをする彼のおばあさんが、真っ白で小さな欠片の集合体と成り果てて、小さな壺に収まって彼の部屋のテーブルの上に初めて置かれたその夜、どうした理由からか、僕は父と二人で彼のアパートに一晩だけ泊まったのだった。

まだ夏らしさの残る寝苦しい夜だったように思う。

僕は一つの布団に彼と隣り合っていて、その脇で僕の父はシュラフに包まっていた。

僕は父からアウトドアの精神について教わった記憶は全く無く、父がどうしてそんなものを持っていたのか解らない。
実際借り物だったのかもしれないし…
いやしかし、父が自分の趣味のすべてを家族と共有していたかどうかって事も、今となっては確かめる術もないので…

そう、今はそんな話ではないのだ。

彼にとって唯一の家族であったと思われるおばあさん、その死に際して、おばあさんの代わりに彼の傍に付いていてあげるような肉親が他に誰も居なかったというのが紛れも無い事実なのである。

彼とはその夜でお別れだった…

でも僕らにはそんな意識はさらさらなかった。

明日の事なんて何も解らなく、また解る必要も無く、今を遊び、命じられた時にだけ義務を果たし、そして愛されて、守られていればよいだけの普通の子供だったので…
(そう、子供達がそれ以上の存在である必要なんて……)

だから明日から彼がどうやって生きていくのかについて、そして自分や学校に対しての、彼の立ち位置の変化などについてそれを慮るような考え方が僕に無くて当たり前であり…

ただ明らかだったのは、僕には両親が居るが彼には両親が居ないという事…
でも彼は、僕がもし自分がそういう境遇に陥ったらどうなんだろう、と思うほどには、彼自身の見た目はそれ程深刻そうに見えなかったという事…

そしてそんな複雑な僕の心境を父は十分に理解した上で、その夜を三人で過ごす工夫をしていたように思い出すのだった。



(続く)
by flierone | 2009-03-11 11:42

MAGIC HAND_01


MAGIC HAND_1

    ●


人にはそれぞれ個性がある。

しかしそれを十分に理解していても、その反面で他人と違うと言う事にいつも微妙に反応してしまう矛盾を多くの人は抱えていると思う。

世間に溢れている“自分らしさ”という言葉は、個性を主張したい気持ちを走らせるだけでなく、他人と共通の部分も保ちつつ、理解されたい…あるいは尊敬されたいと言う、他者に囲まれた環境に限定された自分らしさと言う意味に思えて仕方が無いので僕は嫌いだ。
または、行為や表現が人として未熟である事に起因している場合も、それを自分らしさという事で売り出してしまっている痛々しい事例も少なくは無い。
そんな人が“成長”によって急に無口になるのは、もっと痛々しい…

人と違うファッション、
人と違う髪形、
人と違う生活、
人と違う考え方、
人と違う生き方、

人と違っていようと同じであろうとそんな事をまったく意識しないという個性も当然あるだろうが、そのあたりは少し置いといて、広い意味でこれらはどれも人が常に試行錯誤し、修正更新し、あるいはそれに取り組み続けること自体、人生そのものと言えるだろう。

しかし試行錯誤も修正も出来ない個性がある。

人と違った身体…

そんな人に対する差別心は、昭和40年代の日本の庶民生活においては、今と違ってもっと生々しく、直接的で、実践的であった気がする。


僕は幼稚園から小学校低学年まで、その彼とは、仲が良かったのだろうと思う…
と言うのは僕の記憶の中でも、もっとも古い部分に一定の湿度を保ったまま保管されている、家族以外の他者…その何人かの内の一人が彼であり、その確固たる存在を記憶しているだけで、本当に仲が良かったとか悪かったとか、いつ出会ったとか、詳しい事は当然覚えていないので曖昧な部分も多いのだ。
でも僕のその多湿な保管庫にその存在があると言うだけで当時の僕にとって間違いなく重要な友人であったと思える。

彼の右手は手首から先が普通の人とは形が異なっていた。

いや実際、手指は無かったのだが手首まではあったのかと言うとそれさえ何ともいえない…肘のあたりまでは普通でそこから先は凄く細くて先が尖った単なる肢、であった。
それが何故右手だと覚えているのか…これほど古い記憶でそれをはっきり言うためには、その確固たる理由に従ってしか断言できない。


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僕は当時家族と一緒に長屋に住んでいた。部屋は2K…ところが母に聞くとそれはれっきとした持ち家であり、言うなればその長屋の一画を区分所有していたらしい。しかし共同浴場と共同便所…である。今ではあり得ない所有形態だろう。

同じような長屋が向かい合って何軒も建ち並び、路地を挟んで向かいの玄関との距離が2~3メートルで、洗濯物も向かい合って干し、私道の端には井戸があり、さらに小さな雑木林を通り抜けると貯水池があり、いつも意味不明の空のリヤカーを引いているおじさんがいて、何もやってないのに姿を見ただけで僕らの事を、悪そう坊主っ!と怒鳴りつけるようなおばさんがいて…夏の夜には棒切れ二本を持たされて火の用心を呼ばわって見たり、地面の上でビー球を転がす事に熱中したり…
それでも日が暮れると、昼間の陽光に見合っただけの電気を灯して、家族団らんを過ごすという、当たり前なんだけどふと我に帰ると今の自分よりも幸せであるような、そうでもないような…


大雑把に言うと長屋にはそんな生活があった。

手首の無い彼は、貯水池の向こうに住んでいた。
僕は彼の家によく遊びに行っていたのだが、そこはとても暗い家だった。雰囲気がどうのという事でなく、現実に照明が乏しく、また太陽光も入りにくいような、実際に暗い家だったのだ。

後から分かった事なのだが、そこは戦後にある目的で建てられた公共の建造物であって昭和40年代に貧困者に向けて集合住宅として流用されていたものらしい。

彼はそこにおばあちゃんと二人で住んでいた。

どういう事情で両親が共にいないのか、その事について僕は事情を知っていて、それゆえに彼と仲良くしていたという記憶があるのだが、どんな事情であったのかを思い出せない。
記憶という名の精神機能は複雑で曖昧だ。我々はそんないいかげんな物に人生においての重要な決断の大部分を委ねてる気がするのは思い過ごしだろうか。昔の事を書いていると、ついこんな考えに囚われてしまいやすいのが困った点だ…
というのはさておいて、

僕は遊ぶときにいつもその薄暗いアパートに彼を迎えに行った。彼の方から僕の家に迎えに来る事は無かった気がする。いつも僕からばかり迎えに行って、そしておばあちゃんに激しく歓迎され、早く外に遊びに行きたいのに引き止められてばかりのじれったさが記憶にある。

僕の家は地図上で見ると小学校まで一キロほどしかなかったのだが間に踏切の無い国鉄の線路があり、いったん小学校とは逆方向に歩いて迂回し車も通る大きな陸橋を渡って行くのが通学路であった。家からは20分くらい…毎日歩いて通学していたので必然的に家から20分前後のエリアが行動範囲になっていたのだ。

問題はその踏切の無い線路を、無理やり走って踏み切る事…それによって20分以上かかるところを10分くらいで学校に付く事が出来るというだけの為に…

ただしそこを無理やり踏み切るには一つの関門があった。

線路の敷地内に入り込むために、上に有刺鉄線が張ってある2メートルぐらいのフェンスの中ほどにある可動式の扉の内側から、手が届きさえすれば簡単に外す事が出来る鍵を外してその扉から入るしかなかったのだ。その鍵を内側から回すための隙間にはたとえ小学生の腕であろうともねじ込む事は難しかった。

それは普通の腕には無理だったのだが、彼の個性的な右腕によって可能になった。

彼がその隙間に細長い腕を差し込んで鍵を開けている最中、僕は意味も無く金網を両手で握り締めて右にいる彼を見守り、そして彼は手を突っ込んでいる最中に顔を僕の方に向けて懸命に歯を食いしばっていた。
僕の中に一番彩度の高い映像として残っている彼の姿はそれだった。
僕の右にいる彼が、フェンスに対して左を向いて手を差し込むということは、その個性的な手は右手という事になる。
それは絶対に間違いない。

たったの10分早く着くためだけに、踏み切りの無い線路を無理やり踏み切ると言う、危険で無意味な行動…

それが自分たちの得だと本当に考えていたのか、リスクという言葉も概念も知らないからそんな事してたのか、それとも厳しく禁止されていたからなおの事やりたかったのか…どちらにしろ子供ならではの行動だ。

まず朝、家を出て普通の通学路を行く。そしてすぐに彼と落ち合う。そこまでは別に約束なんかがあったわけではないと思う。その後目を見合わせたときの雰囲気で、僕らは近道を行こうという気になった時にだけ、それをやった。

そんなもたもたを経て実行してた訳なので、実際時間が稼げていたのかどうかは全く分からない。
通学路をまっすぐ歩いた方が早かった可能性もある。
しかも彼にとっては、本当に物理的にも近道と言えたのかどうかは疑問だ。

いや、今、僕の記憶に残る町並みをトレースしてみても、彼にはそんな危険な行為をする意味合いは全く無かったと思う。

とにかく蘇ってくるのは、線路脇に転がった使われていない枕木、防水のためオイルが塗りたくられたその独特の匂い、線路を渡った後に普通の歩道に上る急な斜面、セイタカアワダチソウ、そんなアイテムばかり…

彼か僕のどちらが最初に言い出したのか…

当然それは僕だろう…

彼がそんな提案をするわけない。それどころかどんな提案だってしやしない。

そう…彼は極端に無口だった。

そんな彼を僕は自分の都合のいい時にだけ友達として扱っていたのだ。

全てにおいてが僕の思い通りであったために、彼からストレスを受ける事は一切無かったので、僕らは一度たりとも喧嘩をした事が無かった。それが僕らの関係の一番異常な点だった。


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ハンディキャップ、などという…日和見的で、第三者的で、しかしそのことに対して私は常に注意を払っていますヨ的な、都合のよい外来語はまだその当時、一般的ではなかった。

実際、最近の世の中には非常に複雑でデリケートな事情を、十把一絡げに処理できる便利な横文字が沢山出現したように感じる。日常の社会生活における、あらゆる意味での様々なグループ形成に対して、「部外者」を即座に認識し警戒するための、かといって敵対心をおおっぴらには表に出さない便利な言葉が必要になってきたからだろう。

皆、ややこしい事の中には出来るだけ首を突っ込みたくは無いのだ。

僕は今こんな考えを言いたい放題に表現しているが、しかし言葉に表すような能力を持たない、小学生の当時から僕は身近な大人(主に学校の先生)との触れ合いによって、これらの考えの本質を既に持っていたように思う。

僕は小学生の頃、担任の先生が大嫌いだった。
理由は相手によって態度を変えるから…要するにえこひいきの多い人間だったのだ。
この先生(僕の経験上の、最もくだらない大人の内の一人なのであえて名前は必要ないだろう…第一覚えていない…)は僕たちの事を自分の管理下に置きやすいように徹底的にグループ分けしていた。
小学校の低学年レベルの子供にそう言う事を見透かされている大人ってどうなんだろう…と今でも思うのだが、現実にそうだったのかどうかは問題ではない。
僕がそう感じていた事が問題なのだ。

ピアノを習っているような子供…徒競走で一番になる子供…勉強が出来る子供…親が立派な身分の子供…
それは色んな子供がいるだろう。
今でこそ成長する事と平均化する事は同義に捉えられかねないが、少なくともその当時は、子供は可能性の塊であり出発点なわけで、少しでも不公平を感じることに僕は異常に反応する子供だったのだ。

右手の無い彼のことにしても、先生は事あるごとに彼を一段別のステージに置きたがった。そのステージがどれ程下に見えようとも、そんな事には全くお構いなし…いつだって自分の立ち位置からしか物事を見ない人だった。

たとえば授業中に先生が出す質問に、手を上げて答える時は…

「黒板の方を見て大きな声でハイッ!と言いながら右手を真っ直ぐ上に揚げなさい!」

と勇ましく発言しておいてそしてその直後、不意に我に帰ったようにして彼に対しては

「あっ…あなたは左手でもいいですよ…」

といった塩梅である。
頑張って脚を上げるやつがもしいたら、その時は仕方なく揚げ方を教授すればよかろう…
いや、それより彼の右手がどうであろうと、彼が上げたい方の腕を上げるべきだ。
この教師の根本的な勘違いをすっきりと一刀両断する事は、当時の僕にはもちろん無理であり、なんとなくモヤモヤしたものが僕の胸に積み重なっていくばかりだった。

要するに無用の決まりごとがありすぎるので、生徒たちは考える作業をちょっとでも盛り込むとそれに反する恐れがあるから萎縮し、また先生の方はそれを監視する作業が大変になり自分もストレスを受け、悪循環が加速し…

とにかく最悪のおばさん教師だった。

僕は冷めた目でいつも教室を見回していたものだ。
後々、父の仕事の都合で5回も転校することになり、その一風変わった小学生らしからぬ客観視能力は、すくすくと育まれることになる。

とにかくそのヒステリー教師が一番楽しんでいたと思われる行事は「帰りの会」であっただろう。

これはいわゆる終礼の事なのだが、異常に念入りな物だった。特にその日一日の中で、決まりを破った人をつるし上げるというか密告するというか、平然と他の友達がやった’ダメ’な行為を指摘しあうと言う、おぞましいイベントである。
僕が一番嫌だったのは、そのおばさん教師がこの「帰りの会」の時に動物的な微笑みになる事だった。毎日、吐き気をこらえてやり過ごすこの時間…

誰々が廊下を走りました…
誰々が上靴で外に出ました…
誰々が給食を残していました…

その教室内にいるちびっ子たちの、その時点での…または将来にわたって関わるであろう人間関係において、それらを宿命的にギクシャクさせる為の英才教育を施すという使命でも、帯びていたんだろうか…わからない。

その教室内で、先生が提案し皆が率先して行うべき課題として、“困った人を助けよう”という事があった。

クラスでも要領が良く、基本的に世渡りのうまい何人かの生徒は、右手の無い彼の世話を事あるごとにおこなって、それが誰か他の生徒の目に留まり、帰りの会において先生の耳に入る事を望んでいた。
そんな生徒に限って…必ずと言っていいほど、遠足や社会見学の時に彼と一緒に弁当を食べる事は決してしないのを、咎める人は誰もいない事に、僕は冷静に背筋の寒さを覚えながらもあえて僕自身は、他の生徒が見ている前で彼を助けることを一切しなかった。第一彼はそれほど助けなんか必要としてなかったし、五体満足であっても彼より相当不器用な児童はたくさんいたのだ。
その心境は複雑すぎてうまくいえないのだが、僕がその間違いを正して全員を引っ張っていくと言う級長タイプの子供でも無かった事だけは確かなので…
わかっていても実行しなければまったくの無意味だという教訓。

一つの出来事がよみがえってくる。

校庭の掃除とかの事だっただろうと思う。

彼に手首が無いことによって何らかの作業の遂行に支障があるような事があって、その時に一緒に行動していた僕が彼を助けなかったのを、ある一人の生徒が見ていて、それを帰りの会で報告したのだ。

困っている人を助けなかった僕が悪い、という事をつるし上げようという訳だ。

僕の言い分は、単純に彼は困っていなかったという事。
でも目撃した生徒は彼は明らかに困っていたと発言した。
その後はクラス全員でくだらない発言の応酬である。
彼の塵取りには枯れ草が30センチくらい積み重なっていて大変そうだったとか…
いやそれは15センチくらいだったとか…
彼は重たい方のほうきを持っていたとか…

頃合を見計らって教師も議論に参加してきた。
彼女は、見るからに生意気な僕をそもそも嫌っていたのだ。この機会にとばかり、その議題とは関係ない事にまで話を広げて、明らかに目撃した生徒の側に立って、長い発言をしたりした。
全員が沈黙する、決定的で当たり前の解決方法にはどういうわけか教師も含め誰も気付かないまま、つるし上げは続いた。

しかし僕は全然平常心であり、教室内が一段落してから最後の発言をした…

「本当に困ってたかどうか、本人に聞け…」

彼のように体の不自由な人間は、自分で出来る事はなるべく自分でやりたいのだ。
片手が無いくらい、何てことは無いじゃないか…という意識が自分と周辺に蔓延することが彼にとっては理想の環境であるわけで、それを理解していない教師もみんなも、結局は “人助けをするような自分” に興味があるだけで、困っている人に興味があるわけじゃないという事が完璧に露呈した帰りの会だったのだが、当然、そんな総評で締めくくることが出来るような大人はその教室には誰もいなかったので、尻切れのまま終わったのである。

ついでに言うなら…
僕はその放課後、校門の手前で担任の教師に呼び止められ、校庭内の隅にあった雑木林の中で体罰を受けた。
その結果、転んだはずみで側溝に落ちて、足を捻挫した…と思っていたが腫れがなかなか引かないので親が病院に連れて行ったら、ナント足首の骨にひびが入っていたのだった。
その日起こった事のすべてを、何故僕は親にことごとく言わなかったのか…どうしてもわからない。
ある事件で、自分は絶対に間違っていないという事そのものを体内に閉じ込めておきたかったという気分だったと思う。
それよりも転び方がどうであれ、骨にひびまで入れてしまうのは僕の身体的脆さだったわけだが、精神の方はそんなヒステリー教師の発作を一身で受け止めても何故かへこたれることが無かったのは、我ながら良しとしよう。

でも現実にはただ言いそびれたというかなんと言うか…たいして深い考えがあったはずもなかったのだが、僕のその沈黙とその後二週間ほどのギブス姿は、思わぬ形で担任の教師に圧力を及ぼしたようだった。
それ以降、僕にとってそのババァはさらに何の意味も無い存在に成り下がっていった。

もし僕の娘が今、そんな目にあったら、そんな教師を社会から抹殺するために、自分の労力金員を、瞬間的に最大量つぎ込む事に躊躇は無いだろう。

本質的にその資格を持たないままに、目立つ場所の居心地のよさを間違って知ってしまい、そして居座る人間のみっともなさは、今も昔も変わらない。
どのジャンルにもそういう人間はいるだろう。


    ●


この数行を読み返すと、悪徳教師とその手下のように卑屈な小学生に対抗する、一人は手が不自由で、またもう一人は公平な正義感あふれる二人の少年の物語…
という構図が設定されたように感じてしまうが、それほど大げさでもない。

昔日の記憶はあくまでも低彩度であり、ぼくが語りたいのはそれらの日々の平坦さが持つ平坦であるが故の切なさのようなものなのである。


                        (明日に続く…)
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by flierone | 2009-03-10 18:15

Amphitheater

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BRONICA/S2
75mm/f2.8
ilford/DELTA/iso100
HC-110
original photo paper
LUCKY90m-D-classic
FUJINAR-E/f7.5cm/1:4.5


by flierone | 2009-03-08 14:35